北陸の旅 2日目は福井方面に向かいました
自分史上ほぼ初めてと言っていい北陸の地。2泊3日の旅です。
※全体の流れは、こちらのまとめ記事をご覧になってください。
2日目はレンタカーのヤリスハイブリッドを借りて、福井方面に向かいました。
ヤリスハイブリッドのインプレッションについて、ご興味のある方はこちらをご覧になってください。
当日の訪問地は、
①永平寺
②一条谷朝倉氏遺跡
③紫式部公園(越前市)
④うるしや(そば、越前市)
⑤東尋坊
⑥おでん山さん
それぞれをご紹介していきますね。お付き合いください。
①永平寺
金沢市内の渋滞はありましたが、高速に乗ると特に渋滞することもなく、スムーズに1時間強で到着しました。
駐車場の方に教えられた入り口に向かいました。
荘厳な木々が並んでいます。
左手に”通用門”という入り口があります。
永平寺の建物の構成はこうなっています。上の写真の通用門は、この案内図の中の右の下あたりにあります。
入場する際のパンフレットには、こうありました。
永平寺の成り立ち
永平寺は、寛元二年(1244)に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。四方を山に深山夕刻の地に大小七十余りの建物が並んでいます。
永平寺を開かれた道元禅師は、(中略)波多野義重公の要請もあり越前の国(福井県)に移られ永平寺を開かれました。
現在は道元禅師のご意志を継承する修行道場として、僧侶の育成と一般の方への布教教化を行っています。
実際、中に入ると修行僧の皆さんが忙しそうに廊下や階段を行き来していました。そんな中を進んでいきます。修業僧の皆さんがどういう背景でここで修行をされているのか?想像していると人生の機微を感じました。
紅葉し始めた木々と建物。
印象深かったのは、観覧コースの最後にあった展示物でした。ひとつひとつ読んでみると、それぞれが心に刺さりましたし、清らかな気持ちになりました。
”ひとの価値”、この教えは全く自分はできていません。知っているだけではなく行動しないと意味がないことを改めて痛感させられます。
”どう生きるか”、この教えは、自らが主体的に生きることの大切さを教えてくれています。自分の人生なのだから。
”仏心のめざめ”、自分は全くできていませんが、”利己”よりも”利他”の気持ちの重要性を教えてくれます。
”身を正し、息を整え、静かに座る”、この言葉は今自分が日常生活の中でなんとなくやっていることだなと思いました。座禅をやってみたいと思いました。
”はきものをそろえる”、整理整頓が心を整えることにつながることは実感します。
生き方に関する教えがいくつもある中で、心に響く言葉たちでした。
②一条谷朝倉氏遺跡
永平寺から20分ほどで、次の訪問地の一条谷朝倉氏遺跡に到着です。
こちらは、ここ一体が一条谷という地名で、中世に朝倉氏がこの城下町を拠点に越前を統治していたそうです。当時は、北陸の小京都と呼ばれ隆盛を誇ったそうです。その後、天下統一を目指す織田信長と対立し、朝倉氏は滅びたそうです。
「特別史跡」「特別名勝」「重要文化財」と国の三重指定を受ける貴重な遺跡。この三重指定は、金閣寺や厳島神社などと並び、6例しかないそうです。
こちらが散策マップ。じっくりみて回ると一日かかりそうなスケールなんです。残念ながら以降スケジュールがあったので、”朝倉館跡”と”復元町並”を訪問しました。
最初に朝倉館跡を訪れました。緑の壁で囲まれた中央の門を潜って行きます。
広々とした土地が広がります。
ここは、朝倉市の5代当主、朝倉義景が暮らした館だそうです。
奥の方には、本殿の基礎がありました。
”朝倉館跡”を出て橋を渡って戻っていくと、”復元町並”があります。
頂いたパンフレットです。中級、上級と階級別に武家屋敷が復元されています。
武家屋敷の街並み。左が中級武家屋敷、右が上級武家屋敷になっています。
上級武家屋敷は、大きな敷地になっています。大きなお屋敷があったことが想像されます。
入り口にあった模型です。
③紫式部公園(越前市)
一条朝倉氏遺跡を後にして下道で50分ほど走って、次の目的地、越前市の紫式部公園に到着しました。
NHK大河ドラマの”光る君へ”を熱心に見ていた奥様が行きたがっていた場所です。
園内に入ると、綺麗な日本庭園が広がっています。
公園から見える日野山。
こちらの看板にはこうあります。
紫式部が歌に詠んだ日野山
ここからは、紫式部が郷愁の思いで眺めた日野山の美しい姿を望むことができます、紫式部は、長徳二年(九九六)、越前国司となった父・藤原為時とともに都を離れ、一年余りを越前で過ごしました。武生で迎えた初めての冬、降り積もる雪の多さに驚きながら、京都を懐かしむ歌を詠みました。源氏物語の作中にも、「武生」の地名が登場し、越前で過ごした経験は、紫式部に影響を与えたと考えられます。紫式部の視線の先には、かつて眺めたであろう日野さんの雄壮な姿が千年の時を超えた今も、変わらずあり続けています。
歴史を感じますね。
そして進んでいくと、黄金の像があります。紫式部の像です。
後ろに回ると、十二単衣の様子がよくわかります。
こう説明がありました。
駐車場の脇には、紫ゆかりの館があり、紫式部の一生についての解説がありました。
④うるしや(そば、越前市)
ここまで3か所を回って、時刻はもう3時近く。ホテルの朝食を食べ過ぎてしまったとはいえ、完全にエネルギー切れ状態です。
奥様がスマホで調べて、評判が良かったお蕎麦屋さんに向かいます。
紫式部公園から、10分ほど走って到着。武生駅の近くです。
雰囲気のある佇まいのお蕎麦屋さんです。
店内も純和風で落ち着きます。座敷に座るのではなく、椅子があるので、お年寄りにとっては親切なお店でした。
入り口にあったメニューです。
自分は組み合わせ蕎麦2種を注文。奥様は天ぷらおろし田舎風。追加で福井名産 焼鯖寿司を注文しました。
蕎麦2種は、歯応えがしっかりしていて大変おいしかったのですが、おろしのからさは想像以上でした。注文する際にお店の女性が、”おろしはからいので大丈夫ですか?”と聞かれて、それほどでもないだろうと思って”大丈夫です”と答えてしまったのですが、完全に舐めてました。舌が痺れるほどのからさです。
追加で注文した焼き鯖寿司も美味しかったです。お腹いっぱい。ごちそうさまでした。
この後、クルマで走りながら見た越前市内の風景を見て、すごく趣のあるいい街だなと思いました。夕暮れも近づき時間がなく散策できませんでしたが、いつかまた来てみたいと思いました。
⑤東尋坊
越前市を後にして、高速に乗って1時間。夕暮れ近くの時間に、本日の最終目的地、東尋坊に滑り込みました。
平日火曜日の夕暮れ時だったこともあって、人が少なく、ちょっとさびれた雰囲気でした。
しかしながら、景色は圧巻!と同時に土曜サスペンスのあの曲が頭の中を駆け巡ります。
この看板の説明によると、地下のマグマが地表近くまで上がってきて、冷えて固まった火山岩で、長年の波で侵食されて地表に現れたものなんだそうです。
1200〜1300万年前と遠い昔ではありますが、マグマが地表まで現れるなんて、ちょっと想像できない現象です。地震国日本を象徴するものともいえますね。
⑥おでん山さん
東尋坊から、高速で1時間強でホテルまで戻ってきました。本日もなかなか疲れましたので、駅ナカでサクッと夕食としました。
金沢はおでんが有名だということで、この店に入りました。
おでんは、巾着・ロールキャベツ・筍・ちくわ・たまご。おでんもさることながら、スープが絶品のうまさでした。
そして、スジ煮込み。ビールのつまみに最高です。
さらに絶品だったのが、”がんど”。名前を聞いた時は、なんじゃそれ?と思いましたが、ブリだそうです。
がんどとは?から引用させていただきます。
ガンドとは、ブリの一歩手前のサイズ(60~80cm)のもので、北陸ではこのように呼ばれており、富山や石川の料理屋や市場などでよく見かける言葉です。
富山や石川では、「コゾクラ(ツバイソ)→フクラギ→ガンド→ブリ」と成長につれて名前が変わります。
関東では「ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ」
関西では「ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ」
と名前の変わる出世の段階の中のワラサ、メジロといったところでしょうか。霜降り肉のように脂がのった寒ぶりに比べると淡泊ですが、秋のガンドは脂ののりもあり味わい深いものがあり人気があります。
この説明の通り、身の締まり、脂のノリともいうことなく、とても美味しかったです。
2日目はここまで
2日目はレンターカーを使って福井県まで足を伸ばしました。いろん場所を巡って、北陸は歴史が刻まれた由緒ある場所なんだなと感じました。
それでは最終回 3日の記事で。