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心を穏やかに保つために【「ブッダにならう 苦しまない練習」を読んで】

自分の内面を変えたいと思って2年

2年前の6月にこのブログをスタートして、今までの自分を内面から変えていきたいと思い続けてきました。

昨年、こちらの記事で、ある本との出会いで感謝する気持ちを大事にしていくことを改めて学びました。

自分を変えるヒントだ!【「GRATITUDE 毎日を好転させる感謝の習慣」を読んで】1年前、自分を変えたいと思っていたのに 昨年の6月にこのブログをスタートして、今までの自分を変えていきたいと思いこんな記事を上げました...

あれから、自分の内面改革が一歩進んだような気がしていました。

そしてそれ以降も自分の心の在り方について悩み、図書館で本を探していましたが、先日、この本に出会いました。

題名:ブッダにならう 苦しまない練習
著者:小池龍之介
発行:株式会社 小学館

本書は、月読寺(東京都世田谷区)の住職である小池氏が、ブッダの教えをベースに日常生活で起きる心の悩みを解決する方法、心の持ちようを教えてくれています。

 

本書はいくつもの章からなっていますが、今回は、共感、納得した以下の章について、自分の感想をお話ししたいと思います。

・悪魔から身を守る
・業を良くする
・この瞬間を生きる/身体を見つめる
・外見のこだわりを捨てる/美化しない

悪魔から身を守る

悪魔の軍隊に攻め込まれる

この章では、心の平穏を保つための考え方、やり方を教えてくれています。

自分の身の回りで起きることで、よくイライラしたり、怒りの心が湧いてくることがありますよね。それによって、冷静な判断ができずに、間違いを起こしてしまったりします。

そんな身の回りで起きることで自分に巻き起こる気持ちのことを「ブッダは悪魔の軍隊に攻め込まれる」と表現したそうです。

自分が最も悪魔の軍隊に攻め込まれた例

そのことを聞いて思い出される、自分が最も悪魔の軍隊に攻め込まれた例が、会社のクルマを雪壁に突っ込ませたことです。

当時の上司とは、折り合いが悪く、意見も対立していました。そんな関係の中、彼が寒冷地であるイベントを主催し、自分の推進している開発車両をそのイベントに使うと言い出しました。イヤイヤながらも渋々了承し、クルマを貸すことにしました。イベントの前日、移動の必要性があって、そのクルマを使って移動していると「勝手にクルマを移動しないでくれる?」と言われました。そもそも自分管理のクルマなのに、なんでこんなこと言われないといけないのか!!と無性に腹が立ったのです。(まさに悪魔の大軍です)結局、言うことを聞いて、別のクルマを借りて移動することしたところ、そのクルマのタイヤがノーマルタイヤだったのです。普段なら、走り出してタイヤグリップですぐわかるはずが、その時は、頭の中が”悪魔の大軍””怒りの大軍”に占拠されて、冷静な判断ができなかったのです。そして、走り出してすぐのT字路で止まりきれずに雪壁に突っ込みました。

この件の反省としては、そんな状況で自分の感情をコントロールできなかったことがあると思います。彼との関係性やその時の言い方はありますが、本書にあるように、一歩引いて”冷静に相手の混乱や苦しみを観察”してみると、彼の立場で言えば、実際にイベント前日で、出展するクルマに何かあったらイベントが上手くいかなくなる可能性があるから、単にそういっただけなのかもしれません。しかし、そう判断できずに、自分の心に悪魔の軍隊に占領されてしまった。そんな苦々しい思い出でした。

心を平穏に保とう

そのほかにも、正直、小さなことですぐイライラすることがよくあります。

・クルマが横入りしてきた時
・後続のクルマの車間が狭く煽ってるように感じる時
・電車に乗る際に、列に並ばずに横入りしてくる人
・右側を走行する自転車を見た時

そんな時は、一歩引いて、このように考えて、自分の気持ちコントロールして平静な心を保つように努めたいと思います。

(クルマが横入りしてきた時)彼は急いでいるのか、運転初心者で上手く車線変更ができないんだろうな。

(後続のクルマの車間が狭く煽ってるように感じる時)それが彼の運転スタイルになっているから、自分が早めのブレーキや前車との車間を開けてスペースを確保するなどして追突されない工夫をしよう。
(電車に乗る際に、列に並ばずに横入りしてくる人)彼は急いでいるかな?自分が並んでいるのが見えなかったのかも。
(右側を走行する自転車を見た時)交通ルールを知らないのかもしれない。言うチャンスがあれば言おう。

業(カルマ)を良くする

業(カルマ)とは?

この章では、業について解説しています。一部引用させていただきます。

ここでは、人の「業(カルマ)」について語っています。

業とは、「心の中に蓄えられて次の感情を生み出すエネルギー」程度に理解すればいいのでしょう。業は、過去からずっと原因と結果の連鎖を織りなしつつ、新たな感情を生み出しています。

(中略)何かを思ったり、何かを言ったり、行動したりすることによって、ある印象が心に刻み込まれ、そのエネルギーの余波が次の感情を意味だし、結果として、良い感情や悪い感情を我が身にもたらすと言うことです。(P117)

悪い行いをすれば巡り巡って戻ってくるということなんですね。

うちの奥様も、昔から同様なことを言うんです

このカルマの話を読んで、驚いたのがうちの奥様。昔から同じようなことを言っていたんです。実はブッダ様なのか?なんて思っちゃいました。冗談はさておき、こう言っていたのです。

はたから見て、上手に世渡りしているように見えて、見えないところでこっそりモラルに反すること、つまり、他人をいじめたり、陥れたりする人がいます。そういう人は、将来、それら自分の行いが、自分に戻ってきて同じような目に遭う。そういう巡り合わせなんだと。

自分の人生で振り返ってみると、確かにそうなんですね。他の人の不幸を具体的に書くのは控えますが、そういう人々を多くみてきました。

自分を振り返ってみると

冷静に考えると、人間、ひとりでは生きられませんから、長い人生の中で、家庭や学校や社会といろんな環境に身を置いて、数多くの人間関係の中で生きていかなければなりません。そんな中、人間ですから、正直、正しいことばかりやって来れてきた人は、そうそういないと思います。

自分自身について考えても、若い頃は、自分自身に矢印を向けるというよりかは、他人に矢印を向け、周りを批判することが多かった気がします。それは、自分の進路を他人が決めるようなことが多かったからだと思います。年を経るに従って、自分で将来を選択できるようになってきてから、自分に対する責任感が増して、自分に矢印を向けることができるようになって、改善できてきた気がします。

また、会社の中で、自分のプロジェクトを成功させる、量産に繋げるためには、ライバルプロジェクトと戦う、うまく付き合う、そういかなければ、蹴落とすくらいのことはしてきたと思います。また、何度も指摘していても、自分を顧みずに成長してくれない部下に、冷たくあたったこともあります。

今考えれば、それを置かれている環境が原因ではなく、自分の中の弱さだったと思うんです。それを自分自身で昇華して、”悪のカルマ”を心の中から消し去ることができたら、これほどいいことはないかなと考えています。

これからの人生、悪のカルマをしない人生を送りたい

これからの人生、正しい行いを実践する大人でありたいとつくづく思います。

また、本書にはこういう表現もされていました。

(中略)嫌な思いをするということは、自分の悪業の借金を返す機会とも申せます。嫌な思いをしたとしても、これで悪行が消えたかなと思えば心が楽になる。(P122)

”悪のカルマ”をしないこと、悪いことが起きても、今まで自分がやってしまった”悪のカルマ”の借金返済だと考え受け入れることを心がけていきたいと思います。

あとは、言葉にすることは現実化するとも思うので、ネガティブな言葉自体も”悪のカルマ”だと思いますし、ポジティブな言葉をなるだけ口にすることが大事。心がけていきたいなと思います。

この瞬間を生きる/身体を見つめる

この瞬間を生きることは、自分には難しかった

「この瞬間を生きる」このことは、本書のみではなく、いろんなところで言われていますね。

これは、今の自分ができているかと考えると、ブログの記事をノリノリで書いている時以外は、できていませんでした。

・目の前の人が喋っていても、別の自分に興味のあることを考えていて、話を聞き入っていない
・本を読んでいても、別のことが思いついて、そっちに意識が飛んでしまう
・ランニングしながら、自分の将来の話やブログのネタを考えてしまう
・旅行に行っても、写真を撮ることに一生懸命で、感性でその瞬間の雰囲気を味わうことをしていなかった

人生での貴重な瞬間を見過ごしていることになるかもしれませんし、2度と起きるかわからないかもしれません。また、集中力の欠如、うっかりミスの誘発、相手の自分への信頼感の喪失につながるなど、いいことはありませんね。

その「この瞬間を生きる」をどうやってやるか?

さて、その「この瞬間を生きる」をどうやってやるか?

瞑想?それも聞いたことあるし、軽くやってみたけど、よくわからないなあと思っていました。

で、本書で紹介されていたのが、「身体を見つめる」ということ。日常やっている無意識な行動をしっかり認識することなんだそうです。

今、呼吸の状態がどうなのか。浅いのか深いのか。ゆっくりなのか、速いのか。また、キーボードを打つ手はどう動いてるのか。首が疲れているか。顎を触っている。指を鳴らしている。鼻を擦っている。などなど。

そうすると、不必要な他のことに意識がいかずに、現実をつぶさに認識することができるようになってくると思います。

結局、これって瞑想と同じことをやっているんですね。

このヒントは、目から鱗だったので、これから実践していきたいと思います。

外見のこだわりを捨てる/美化しない

自分は自然な歳の取り方をしていきたい

アラカンの自分、鏡を見て年取ったなあとつくづく思います。白髪も増えて、額も上がってきて、家族にも微妙にハゲハラスメントを受けています。

しかし、かと言って、白髪染めしようとか、植毛しようとか、変に帽子で頭を隠そうとかいう気には全くならないのです。自然が一番だと思うから。

そんな自分が、この章で感銘を受けた言葉がこちらです。

私たちは刻一刻と老いていき身体は少しずつ壊れていきます。「老い」というのは、長い目で見れば緩慢に死んでいくことなのです。それは死ぬということをゆっくり体感していくこと。その現実を受け入れていれば、心は安らかです。(P162)

そう思いますね。なので、自然ないい歳の取り方をして、人生の終盤を過ごしたいなあと思っています。

外見のこだわりを捨てるという言葉は注意が必要

また、外観のこだわりを捨てるというのは、誤解が生じる言葉のような気がします。

言いたいこととしては、健康の維持、増進につながるような、カラダに関する外見のこだわりは捨ててはいけないと思います。

そうではなくて、ただ単純に衣服や化粧で、過剰に外見を着飾るのは、意味を感じませんし、虚栄心や見栄を前面に出していて、見ていて恥ずかしく感じます。そしてそういう人は、往々にして体型に関して無頓着な人が多い気がします。お腹がでっぷりしているとか、過剰に太っているとか。

そういう人こそ、お金で買える装飾に目を向けることではなく、同じ外見であっても、お金で買うというより努力して勝ち取る健康的な身体に目を向けるべきだと思います。

そんな身体を持っていたら、ユニクロのTシャツをシンプルに着こなすように、必要以上に着飾らなくても、かっこよくて美しく見えると思うんです。

そうは言っても個人の価値観であって、人それぞれ意見はあると思いますが。

最後に

わかりやすく、スルッと入ってくる文章と、各章の最後にある4コマ漫画がとても面白くて、楽しく読むことができました。

本書は、2011年に発行された本なのですが、著者の小池龍之介氏は、そのほかにいくつか著書を出しているようなので、引き続き読んでみたいと思います。

また、ブッダの教えについても少し勉強してみようかなと思いました。

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