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【「質問力 論理的に考えるためのトレーニング」を読んで】

この本を読むきっかけ

この本は、2003年に発行された本です。80年代のバブルは遥か前に終焉を迎えて、日本が、今後どのように進んでいこうかと迷っていた時代。この本の最初に、こういう記載があります。

質問力のない人

「問題ないな?」「トラブルの責任は感じているのか?」「できるのか、できないのか?」「提案は一つに絞ってもらえないか?」

質問力のある人

「どんな問題があるんだろう?」「トラブルはなぜ起こったのか?」「最適な選択肢はどれだろう?」「実施の際は、どんなリスクが考えられるだろう?」

日本企業の上司は、まさにこの質問力のない人ですね。結論を急ぐあまり、途中過程には質問することはなく、自分の頭では考えず、問題が起きたら部下に責任を押し付ける。そういうシーンをよく見てきました。質問力のある人のような質問は自問自答していただけでしたね。

また、

日本の凋落は81年から始まっていると思います。

「質問力」という観点から考えれば、追いつけ、追い越せをやっていたときは、「欧米は何をやってたんだろう?」という質問をもと、先行者を「学べ」ばよかったのでした。しかし先頭に立てば、「これから何をすべきなのだろう?」という質問を設定し、自ら「考え」ていくようにしなければなリませんでした。二つの質問には大きな違いがあります。しかし、後者の質問にまで考えが及ばなかったのです。

これは、この時代を通過してこれまで生きてきた自分にとって耳が痛い話です。やはり、スポーツの世界でも「優勝するより、優勝し続けることは遥かに難しい」と言われます。好調の際にそれに甘んじず、その状況を察知して考え方や流れを変えられるか?が組織、会社の生き方、ひいては人間の生き方なのではないかと思います。

そんな身をつまされた文章が気を引き、この本を読んでみました。

題名:質問力 論理的に考えるトレーニング
著者:飯久保 廣嗣
発行:日本経済新聞社

この本は、質問力という題名ながら、相手に論理的に考えさせる質問の仕方を教えてくれる本であり、社会でのみならず、家庭での子どもに対する接し方など幅広く応用できるものでもあると思いました。

最近、プロスポーツでのコーチングという言葉もよく聞きますが、それに似た考え方ではないかと思います。

※この本も密かに、浦和レッズの岩尾選手にもぜひ読んでもらいたい本だと思っています。

思考プロセスの明確化と質問力

スポーツマネージメントの実例で、野球における名監督の話が挙げられていました。

名監督は、「暗算采配」で、勝利を積み重ねてきました。しかし最近、采配が裏目に出ることが多くなりました。なぜだろう、と周囲は考えますが、なかなか原因が特定できません。「良い選手がとれなくなった」「慢心して練習が少なくなった」「監督が年を取った」など、さまざまな原因が取り上げられます。ところが、誰も「野球の質自体が変わってきたから」という根本的な理由は、検討しません。(中略)最近になって、(このような)「目に見えない」ルール変化は、速く、激しくなっていくばかりです。(P50)

暗算思考では、プロセスが開かれていません。(中略)思考のプロセスが誰にとってもオープンで、明快であればあるほど、変化に柔軟に対応できるようになるのです。(P51)

自分にとって身近な浦和レッズを例にあげると、以前はミシャ監督のような優秀な監督を招聘して、フロントはある意味彼に丸投げのような状態でした。おそらく、ミシャ監督の暗算思考に対して、思考プロセスが明確になっていないことで、フロントはあまり突っ込めなかったのではないか?と思います。

それではこの思考プロセスの明快化は質問力と、どのように関係するのでしょうか?

キーワードとなる質問は、
「どんな可能性が、どれだけあるのか?」
「それぞれの影響は?」
「どれが最善だと思うか?」
などが主流です。
質問力は、論理的な「質問」を繰り出して、論点を明らかにしていく能力のことです。最適なタイミングでこのような「質問」を前提として、思考していけば、(オープンな複数思考の)プロセスを実現できます。(P55)

シーズンの最後で勝ちきれずに失速する事象が何年も続いた時点で、その後についてフロントがミシャ監督の思考プロセスを明らかにして、質問力を活かして思考して、次なる方向性を早めに決めるべきだったと思います。結果的には、成績が悪化してシーズン途中で解任という形になりましたが、そのシーズン前に判断すべきではなかったかと思います。

今は、フロントがチームコンセプトや監督選定に対してしっかり思考していますし、マチェイ監督に加えて彼が連れてきたプロフェッショナルなコーチ陣も控えていて、彼らの中で思考プロセスを共有していると考えられます。チーム全体がコミュニケーションを大事にしながら、変化に対するロバスト性を兼ね備えている気がしますね。

ちょっと脱線しましたが、思考プロセスをオープンにして質問力で思考を深くしていくことが大事ということなんです。

ダメな質問の多さを痛感

ただ、日本人はダメな質問を連発しすぎです。自分もそうだと痛感しますね。

しかし日本では、論理的な思考技術をベースとしたコミュニケーション方法の情報や教育が圧倒的に不足してきました。そのために、非効率な質問が蔓延し、日々の生活、ビジネス、はては政治や外交の現場までトラブルだらけ、ムダだらけにしてしまっているのです。話すきっかけのほとんどが質問なのですから、スタートにつまづけば、その後がどうなるかは想像に難くありません。(P29)

そうなんです。日本の家庭や会社やスポーツ集団の中、ひいてはマスコミや政治家までもがそういう状況に陥っていること、容易に想像できます。

自分も含めた日本人が育ってきた環境の中で、堅実でありながらもネガティブな思考が全ての要因である気がします。

この本の中で、実例がいくつか挙げられていました。自分としては、「あー、納得!!」と叫ぶ言葉ばかりでした。

「問題はあるのか?」「できるのか?」

上司が成績の悪い部下に言う言葉です。聞かれた側が、本当のことを言えない威圧的な言葉たち。これは、上司の頭の中ではうまくいってる、いくことが前提でなんですね。なのでうまくいかなくなったら不都合なんです。それを解決しようという器も持っていない。責任を部下の押し付けるような言葉です。最悪な上司です。

でも、本当は、上司のコミュニケーション能力が欠如していた結果なのであり、リスクを充分に吟味、判断できていなかった責任であるのです。なぜなら、上司にはその責任があるのですから。

「うちの部署の業績が落ち込んでいるのは、誰のせいだ?」

これは学ぶ質問、すなわち「なに」の質問です。

複合的な理由が考えられる問題で、答えを限定的にしようとしています。たいていの場合は、こう聞いてきた時点で、発言者の頭の中には「犯人」がいて、それを答えさせようとしています。これでは、真の原因に目が行きません。(P 69)

後述されていますが、学ぶ質問はキャッチアップが得意な日本人が得意な質問です。

でもこの質問の例では、上司の個人的な感情が根本にあり、うまくいかない原因を自分の気に入らない部下に押し付けようとしているように思えます。まさに個人攻撃をしているようなもの。器の小ささを露呈するようなものですね。現実、これを言う人は多いですけどね。

また犯人探しをすることで、部のメンバーの人間関係をギクシャクさせることになり、聞いた全員が全てマイナスのイメージを持つに違いありません。本来すべき業績改善に関する議論、相手を考えさせ本質を深掘りするようなことは全くできずに終わるに違いありません。

ダメな質問に関するキーワード

こうしてダメな質問を見ると、そこには「あいまい、限定的、二者択一、当たり前」などのキーワードが考えられます。(P43)

そう思いますね。

質問のルール

この本で、わかりやすく使えそうなところが第3章10の質問のルールのところだと思いました。納得の内容でしたのでご紹介します。

最初に目的を明示する

会議や議論のテーマ、議題を明確にしないで進めるのは最悪ですね。何をゴールにしているのか?がわからなくなる。

また本当に何のために聞いているのか?わからない質問をする人多いですよね。まさに思いつきで興味本位で聞いている質問。自分の頭の中で現在の状況を整理できていないことを表しているんじゃないか?と思います。

まずは質問する前後に、その質問した背景はこう言うことがあると簡単に説明するのがスマートな質問の仕方ですね。自分も注意していきたいと思います。

疑問はその場で解決する

意見の対立がありながらも徹底的に議論しクリアなロジックで結論を導き出すのが会議というもの。でも、強引に結論に持っていく主宰者、会議の後でうだうだ文句言う人、多いですよね。その責任は、、、

その責任は、たいてい議論の主宰者や組織の責任者にあります。この人たちの「考え方」が変われば、議論しやすい状況が生まれるのです。そして、議論ができる組織は、できない組織に対して強みを発揮します。そういう時代です。

しかし、この国での議論のプロたちにもそれができていません。

政界では、対立している政治家同士、または派閥同士が、論点を明らかにしないまま、潜在的なしこりを残したままに手を結ぶケースがよくあります。そして、時間が経過するとともにほころびが表明化し、新たに議論をしない離合集散が行われます。

おっしゃる通りですね。若いうちから合意形成のための議論や会議の仕方を学ぶことも大事ではないか?と思います。自分は少なくとも習ってはきませんでした。

年齢や地位、経験で判断しない

部下の意見を素直に聞くことなく、自らの過去の成功体験だけにしがみついて、現在の置かれている状況で考えることをやめてしまっている上司。いますいます。

そういう方は、高圧的でありながら、結局間違った判断をしてしまいがちです。

これは、なるほどと感心したお言葉です。

国連大学の学長顧問をしていたグンター・パウリ氏は(中略)次のように述べています。(中略)「経営陣は指示を与え、コントロールすべきではない。経営陣は解答を与えることによってではなく、質問することによって創造性を刺激することを要請される。何かをする前に考え、代わりの方法がないかチェックし、人々を刺激する。絶えず質問されることほど、人を活気づけるものはない。」と主張します。

本当にそう思います。そうありたいものです。

質問と責任追求、攻撃を混同しない

問題が生じた場合は、上司も感情的になりやすい状況に陥りやすく、責任を問うたり、個人攻撃に走りがちです。それでは、個人の反省は促されるかもですが、ただ単にマウントをとっているだけで、人間関係を悪化させるだけです。問題解決には至りません。そういう意味では、目的をも見失っているとも言えますね。

常に冷静さを失わず、問題の本質的を炙り出す質問をしないといけません。

本質から外れた質問をしない

ちゃんとした議論の目的、テーマがあるのに、脱線して、

・相手を動揺させるために、相手の過去の失敗について語り攻撃する。(真っ当に戦えないだけ)
・全く違う話をし煙にまこうとする。(時間稼ぎ)
・グチを長々話す。(個人のストレス解消)
・思い付いたことをただ口にする。(自己満足のため)

こんな時間泥棒たち、多いですね。

これらは、まさに議論の主宰者が脱線をコントロールして本線に戻す仕事をすべきものなのです。なかなか、力関係で難しいものではありますが。

価値観や理念を質問力は問えない

人々が固有に持つ価値観や理念に対して、質問して曲げようとしても無理があるということですね。この部分は、違いは違いとして尊重しあうしかないということだと思います。

日本の常識を過度に逸脱しない

海外からのいいアイデアがあるから適用しようと考えても、日本には日本の文化がありますからそれを無視して適用することはできません。日本の文化に合わせて適用していかないとうまくいかないということです。

最後に

質問力とAmazonで検索すると、実はいっぱい出てくるんですね。あと、コーチング関連の本も。

これは、いろんなシーンでも使える考え方でもありますし、今後も勉強していこうと思っています。

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