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自分と何者なのか?【「世界のトップスクールが実践する考え方の磨き方」を読んで】

自分とは「何者なのか」を考える本

「ハーバード、オックスフォード・・・」おや、ちょっと難解そうな本だなと思ったのがこの本の第一印象。手にとって、”はじめに”の項を読んでみると、最初の印象とは裏腹に

”どんな環境にも対応できる「自分の軸」をつくる”

と興味深い文章があり、借りることにしました。

題名:ハーバード、オックスフォード・・・
世界のトップスクールが実践する考える力の磨き方
著者:福原 正大
発行:大和書房

本書には、「認識」「国家」「自由」「経済」「科学技術・自然」それぞれをテーマに、読者に向けた問いかけがあり、読者自身が考えていきながら、自分が「何者なのか」を深く考えることができる一冊になっておりました。

この中で、特に興味があった「認識」「自由」「経済」の3つについて、自分の考えというか価値観をまとめてみたいと思います。

認識を磨く

事実と認識

人によって同じ事象でも異なる事象となって受け止めることがあります。本書によると、

あなたの経験は「事実と認識」がセットになっているのです。
どんな物事であれ、あなたは自分の「認識」というフィルターを通して理解し、解釈しています。(P24)

人それぞれ、今まで生きてきた中で育て上げられた考え方が、物の見方、認識の違いとなって現れますよね。

自分の反省としては、相手の認識の違いには気づくことはできていたにしても、相手の考え方を、自分の考え方に矯正しようとすることが多くあったことです。

身近な例を挙げると、うちの奥様は、洗った皿をトースターの上に必ず置きます。自分はトースターを開ける際に、上に載っている皿が滑り落ちるので、やめて欲しいとお願いします。彼女の目的は、トースターの熱で皿を乾燥させること。落ちて割れることなど、全く考えていないのです。何度となく、トースターの上に皿を乗せないよう話はしましたが、彼女はその行動を止めることなく続けます。最近は、もう諦めて、自分がパンを焼くときは、食器棚に皿を片付けるようにしています。

長く連れ添っている夫婦であっても、根底は赤の他人。違う人間ですから、同じわけはないのです。

さらに、社会に出れば尚更です。自分の会社には、”石を投げればB型人間に当たる”説が本当だと思うほど、B型の人が多かったのです。一般的に個性が強くマイペースで自由奔放なB型の人にO型の自分がその場をまとめようとして本当に苦労しました。

また、アメリカなど、海外拠点のメンバーとの協業においても、その彼らのストレートな考えと、日本組織のしがらみとの中で、苦労しました。彼らのクルマを良くしたいという純粋な気持ちは羨ましいと感じたところもありましたけど。

認識の違いを素直に認めて、許し合って認め合って解決策を考える。それが大事だなとつくづく思います。

ソクラテスの無知の知

本書の中に出てくる、今まで聞いたことのある、ソクラテスの”無知の知”。

そこでソクラテスは「私は何も知りはしないが、少なくとも知っているとは思っていない。つまり(その分だけ)私の方が彼らより賢明である」という結論に至ります。

(中略)いかなる知識や知恵を有していても、「自分は無知である」と認識している者が賢者だと神は語ったのです。

この言葉の本当の意味を知って納得感がありました。

謙虚であれ

なんでも知っていると驕り高ぶらずに謙虚な姿勢を持てと言っているような気がします。

周りの考え方や意見を柔軟に聞き入れ理解する姿勢が大事だということですね。

特に、認識の違いによる人それぞれの考え方は、相手との会話でその考え方を知り得ないとわからない物ですから、ちょっと調べてわかったなどといった簡単な物ではないということです。

正直、自分にこの姿勢があったら、もう少し会社員を続けられていた気がします。

知り得ることが真実なのか?を常に自分に問うことが重要

自分が見る物、知る物が、真実なのか?自分はそれを本当に知っているのか?自分に疑問を投げかけることが重要だと本書にあります。

実際に、SNS上で流れてくる情報は、発信する人たちの個人的な思い込み、受け取り方というフィルターを通して、ある種変換・加工された物であり、事実とは異なる情報も含まれてきます。

どこまでが事実で、どこまでが個人の思いなのか?を情報を得る者がしっかり吟味する必要があります。

必要であれば、事実かどうか?自分の足で確認することを怠らないようにしないといけませんね。

また、発信者としてブログを書いている自分にとって、文章の中でそれらの区別のし易さを念頭に文章を書いていかなければならないなと考えています。

ホリスティックな人間か?アナリスティックな人間か?

本書には、認識の仕方に大きく2つのパターンを紹介しています。

アナリスティックな認識の仕方とは?

アナリスティックな認識の仕方とは、哲学者デカルトが提唱した物事の真偽を見極めるアプローチで、本書には、

あらゆる物事に疑いの目を向け、即断を避ける。その上で細分化して、順序立てて検証する。そして最後に漏れがないかを徹底的にチェックする。(P38)

とあります。

ホリスティックな認識の仕方とは?

ホリスティックな認識の仕方とは、古代中国の哲学者である老子の考え方で、本書には、

細かく分析することによって何かを解ろうとするのではなく、より広く、大きく捉えてなければ物事の本質なんてわからない。そんな立場です。

とあります。

自分はどちらだろうか?

自分はどうかと考えてみた時に、両方とも使い分けていると感じます。

アナリスティックな認識で言うと、やはり、部品構築や不具合解析など、エンジニアリングを生業として生きてきた中で、アナリスティック認識や考え方が備わってきたと感じます。エンジニア前半の若い頃に身につけられた考え方とも言えます。

ホリスティックな認識で言うと、システムの責任者となりつつあったエンジニア後半の頃に、全体を見る目が養われた気がします。そのシステム自体がお客様にどのように使われるのかを考えたり、クルマ一台の中で他の部品や他の類似システムとどう協調・共存していくのか、考えたりしていました。

今思うと、エンジニアを生業とする中で、この両方の考え方が養われたことは、すごくありがたかったと感じます。

今では、保険の見積もりの明細の計算の不明な部分があったらとことんアナリスティックに追及しますし、世界の経済状況に興味が湧いてきた昨今では、ホリスティックに、経済だけではなく地政学やら国の状況やら、全体を見ることの大切さも痛感しています。

浦和レッズのことでも、アナリスティックに、公開練習での選手の状況や試合内容を考えつつ、ホリスティックに、全体的長期的な目線で、クラブの未来を考えて、試合の勝ち負けに一喜一憂しないことを心がけています。

多面的なものの見方ができることは非常に大事ですね。

自分とは?

ハーバード大学ロースクールの入試問題

本書の初めに、こんな質問がありました。

あなた自身(あなたの背景、あなたの考え)について書きなさい。
2012年ハーバードロースクール入試・小論文問題より

生まれながらに持っていた資質や性格に加えて、今まで自分が生きてきた経験によって培われてきた、ものの考え方、価値観があります。

・日本人
・男
・福岡出身者
・埼玉在住
・妻子あり
・生きてきた世代
・アラカンという年齢層
・自動車産業に従事していた会社員だったこと
・海外駐在歴無し

このほかにも影響してきたことはあるとは思いますが、そんな環境や経験の中で、自然に自分というものが形作られていったと思います。そしてこの歳になって自分の価値観というものを認識し始めました。

また、会社を退職して以来、自分とはなんなのか?どうありたいか?と長く考えてきた気がします。

自分の中の価値観は、簡単に言うと、

「日本人の特性・精神に強く影響されつつも、欧米のような自由や自主自立を大事にする考え方」

と思います。

自分とは? (日本人的なところ)

この本書の中での日本人の特性を表現している部分に通じるものがある気がしました。

質素、倹約、正直さ、勤勉、消費に対する禁欲的な態度、こうした精神は日本の文化や伝統のなかにはじめから備わっている(P99)

この典型的な日本人の部分が自分の基盤にあると思います。

(質素、倹約 /消費につながる禁欲的な態度)

若い頃から、若いんだから思い切ってお金を使うというより、思い切って使う勇気がないし、将来のために貯金しておこうと言った性格でした。クルマを買うにも、ほとんどが中古車ですし、家を買う時もなるだけ借金が少なくなる選択肢を選びました。振り返ってみると、ブランドがどうとかではなくて、そのものの価値を理解して納得した上で、リーズナブルに買う。そして見栄などを意識せず、自分らしく生きていく。そう考えています。

これの根底にあるのは、ものを大事にする精神なのだと思います。勿体無い精神というよりもものを愛でる感じですね。自分が気に入って手に入れたものなら、長く大事にします。それが、Tシャツであろうが、パソコンであろうが、クルマであろうが同じです。

(正直さ)

社会的なルールやモラルを守ることに対して、従順というか生真面目すぎる傾向にあります。逆にルール違反する人たちには、人一倍イライラを感じます。

あまりにもこの意識が強すぎてしまうと、老害街道まっしぐらになっていくので、そこには注意しながら、アンガーコントロールできるような気持ちの持って行き方を学んでいきたいと思います。

(勤勉さ)

基本的には真面目な性格で、社会人となって社会人を長く続けることの難しさをよく理解してきたことから、今は未来に向けた長期的な視点でのものの考え方を大事にしています。

自分とは? (日本人的でないところ)

反対に、日本人的でないところがあります。そして、これは長く厳しい社会人生活の中で強く生きていくために培われた後天的なものです。

(自由自発)

自分の中で自由とは、心の声や自らのアイデアを大事にしながら、それをしがらみなく実行すること。そんなことを大事にしながら生きています。

自由から生まれる意志を持たないと、責任感やモチベーションも伴いませんし、実行力や継続力、達成感のレベルも全く変わってきますからね。

(自主自立)

自由に重きをおくためには、責任を伴います。つまり、ある程度自主自立ができるようにしておく必要があります。社内での立ち回りや、自分自身の資産構築など、しっかり考えておく必要があると思います。

自由をつかむ

本書には、自分にとって大事な価値観である自由についての章がありました。

自由と平等

本書には、自由と天秤にかけられるものとして平等があるという話が出てきます。

そして、イギリスの哲学者にして経済学者のジョン・スチュアート・ミルの自由観が紹介されています。

基本的には人は自由。でも、他人に迷惑をかけるような勝手な振る舞いをしてはいけない。

人は1人では生きていけません。1人で生きていると言い切ることはできないのです。一人暮らしだったとしても。それは、誰しも社会の中の一員だからです。その認識は大事だと思います。

原生林の中で、水も電気もなく自給自足の生活をしているならともかく、そんな人はそうそういないでしょう。電気や水を得ることができるのも公共サービスのおかげ。電車移動ができるのも、鉄道会社のおかげ。野菜や米、肉や魚を食べることができるのも作物を作る農家の皆さんや漁師の方がいるおかげです。

そう考えると、社会の中で生きるために、ルールやモラルを守るのは義務。それを守らないとミルがいう”他人に迷惑をかける勝手な振る舞い”をすることになります。

それを守っていれば、その中では自分の意思でどう生きても良い、選択の自由があると思います。ミルの自由観には大賛成です。

例えるならば、風が気持ちがいいからって公衆の面前でパンツいっちょになることはあり得ませんが、自宅の外から見えないベランダでなってもいいじゃないか!と。

そして、平等は、義務ではなく権利だと思います。平等を義務にしてしまうと、自由を削がれますし、人間の成長を妨げるリスクがあると思います。社会主義と資本主義的な話になって行きますね。

平等は、強制される義務でなく、選択できる最低限の権利であると思います。
自由は、社会の中でのルールやモラルを遵守した上での、自分の意思で選択できることだと思います。

そう自分は考えます。

自由意志とは?

本書では、自らが考える自由に対して疑うことが書かれています。

自らが考える自由が本当の自由なのか?誰かにコントロールされた情報に操られた上での自由ではないのか?と。

認識の部分にもありましたが、そもそも自分の得ている情報が事実なのか?誰かに操作されたものなのか?それによって、誰かにコントロールされている可能性もあります。

正しい情報を吟味する必要はありますが、その情報の発信者の情報に納得感があれば、その情報をベースに選択して、自ら自由だと思って行動するわけで、それはそれでいいのではないかと思うんですね。

自由からの逃亡

初めて聞いたこの言葉。最初はどういうこと?と思いながらも、読み進めていくと納得の言葉でした。

社会心理学者であるエーリッヒ・フロムの言葉で

「人間は、自由を追求すると孤独になる。その結果、孤独を嫌い、自由から逃亡する。」

という意味なのだそうです。

これは、人それぞれ程度が異なると思います。孤独と自由のバランスは人それぞれだからです。

自分は、自由と孤独を好む人間だと思います。しかしそれは、家族が周りにいてくれるということが基本になっているから言えることだとも言えます。会社員時代を考えれば、自分の考えを押し付け自由にさせてくれない上司と戦いながらも、彼らがいたからこそ自由の大切さがみに染みてわかったとも言えます。

つまり、家族や社会という枠組みの中で生きている自分が、その枠組みの中で自分らしく生きるための”自由と孤独”と言えるかもしれません。

今、一人暮らしで、誰とも喋らない毎日を過ごしていたらと想像すると、時間的にも金銭的にも自由ではあるものの、真の孤独感を感じているかもしれません。

そういう意味では、自分の考える自由や孤独は贅沢なものなのかもしれないと感じました。

経済を知る

会社員時代はあまり興味がなかったのですが、今、かなり興味があるのが経済。

最近の円高、株高、物価高から、経済の実態を理解することと、将来を自分なりに考えて予測し行動することが大事だと思い始めました。

調べていくと、経済は、単に生産活動や取引に限らず、地政学や人間の気分が左右する生き物のようなものだと知りました。なかなか興味深く、これからも続けて勉強して行きたいと思っています。

そんな中、本書でも経済をテーマとしてのお話がありました。

国富論(アダムスミス)

本書には、イギリスの経済学者、アダムスミスの”出発点は労働である”であるという考え方が紹介されています。

お金は、労働で得るという至極真っ当な考え方ですね。若い頃の自分は、投資なんかもってのほか、地道に働いて稼ぐのが正義だ!という思い込みを持っていました。クソ真面目でしたね。

そして、経済活動の中での商品の価格の決定に関して以下のような趣旨の記述がありました。

・「自然価格」は、労働価値や利益など商品本来の価値によって、自然に決まるべき価格。
・「市場価格」は、需要と供給によって自然価格中心に変動する価格。
・市場に任せておけば、「市場価格」は、「自然価格」に調整される。

わかりやすい真っ当な経済という印象です。

資本論(マルクス)

続いて、ドイツの思想家であり、経済学者のカール・マルクスの話があります。彼の著書「資本論」は題名をよく聞いたことがありましたが、内容は知りませんでした。

本書の中で知ったのは、「資本論」という題名と裏腹に、マルクスは”資本主義経済を批判し、社会主義経済の後ろ盾となった”ということでした。

労働によって商品を生み出し対価(貨幣)を得るのではなく、労働をせずに貨幣で商品を得て価格を上乗せして利益を得る。そのことがやがて、「資本家」「会社」を生み出し、資本主義社会に繋がっていくということでした。

この社会の問題は、金を持つものが富むという社会格差を生み出すことです。

マルクスの主張は、真面目に労働で対価を得ている労働者よりも、金で金を産む資本家がさらにリッチになっていく社会はおかしい!ということ。

そして、資本家の存在を取り除くべきだと生まれたのが社会主義だということなんです。

この資本主義vs社会主義、言い換えると自由主義vs社会主義は、自由vs平等の議論に行き着く話になってきます。

自分の意見としては、どちらなのか?という議論ではなく、一人一人が社会に対して価値を与えられる人間となっていくことが大事なのかなと思います。労働者や経営者として卓越したものを持って、価値ある商品を生み出すことができる。また、資産を持っていて資本家となって資本(お金)投資し、価値ある商品を提供できる会社を支援する立場であってもいいと思います。

エンジニアとして商品開発してきた経験から言うと、やはりお金がないと開発はできません。なので、価値ある商品になるはずだと志を持ってプロジェクトを起こしてからはやはり金策が重要になります。そう言う意味で、資本投資という行為自体は、ただお金でお金を生み出すというロジックだけではなくて、価値ある商品を生み出すための一助になっていると考えます。

そういう意味で言うと、自由主義、資本主義経済に賛成の立場ですね。

創造的破壊(シュンペーター)

”創造的破壊”、この言葉は、目から鱗の言葉でしたね。

この言葉を発したヨゼフ・シュンペーターは、オーストリア出身アメリカ在住の経済学者。

彼は、こう語ったそうです。

彼は、「資本主義経済は成功すればするほど、終焉に近づいていく」と語ります。(P188)

資本主義が成功し、企業が大企業化してくと、市場への供給や市場価格をコントロールできるようになる。完全競争のない市場経済になり、大企業は魅力ある商品を作らずしても売れるようになる。労働者は労働意欲が削がれてくる。そして資本主義社会が終わり、社会主義に近づく。そんなメカニズムだというんです。

そうならないために、必要なのが、この”創造的破壊”という言葉。

シュンペーターは「資本主義とは、そのエンジンが回り続け、古いものを捨て、常に新しいものを生み出していくことで成り立つシステムである。だからこそ、想像的な破壊が必要なのだ」と力説します。つまり彼は、資本主義には常にイノベーション(技術革新)が必要だと考えたのです。(P191)

今まさに、自動車業界は100年に一度と言われて久しい変革期にあります。EVやコネクティッドなどの技術革新の波が押し寄せ、日本の自動車業界のトップ企業であっても戦々恐々としている状況です。

また、AIという技術革新が全ての業界に押し寄せていますし、地球温暖化という課題をクリアするための技術革新も企業に課された必須タスクとなっています。

これらは、社会的、環境的な要求もありますが、人間はより良い生活をしたいという欲求から、創造的な技術革新を生み出します。

資本主義社会が、こういった形で、意欲的な技術革新をし続け、新陳代謝を繰り返していくシステムであると信じています。今思うのは、その社会に生きていられる幸運というのを感じざるを得ないということです。

ケインズとハイエク

資本主義社会の中でも、「政府が介入するか?市場に任せるべきか?」があるといいます。

イギリスの経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、前者、オーストリア出身アメリカで活躍したフリードリッヒ・ハイエクは、後者の主張をしていたということです。

ケインズが主張する、政府が介入することについては、以下のことが言えるとのことです。

・「不況時は民間に任せているだけでは経済が好転しない」(P197)
・(デメリットとして)国が借金をして経済対策を取ったとしても効果がなく、借金を抱えるだけに終わる可能性も十分にある(P199)
・(借金の補填のための増税などの不安から)将来の見通しを明るくするどころか、かえって暗くしてしまう(P199)

また、ハイエクが主張する、市場に任せることについては、以下のことが言えるとのことです。

・まずは自分でなんとかする。
・民間の自由に任せ、一部の人が得をするシステムを無くす。
・あらゆる資源を、もっと有効なところに投下する。(P202)
・経済対策は、(中略)「中・長期的な視野に立つことが大事」(P203)

自分の意見としては、まさにハイエク。

まず、ケインズの公共工事にお金をばら撒く話は、創造性を生み出さず、短期的な効果しか生み出しません。サッカーで例えるならば、外国人助っ人選手を獲得するようなもの。急場は凌げるが、2、3年もすればいなくなります。

しかし、ハイエクの主張のように、民間企業の自由自立の精神を大事にするべきだと思います。サッカーで例えるならば、アカデミーを充実させることに重きを置く投資をして、中・長期的な視野で、継続的に優秀な選手育成、輩出というのを目指すのに当てはまると思います。

最後に

冒頭にあった

”どんな環境にも対応できる「自分の軸」をつくる”

という本書の狙いがありました。

各々のテーマで新しい知識を勉強させてもらいつつも、その都度あった質問を自分なりに考え解答を見つけようとした中で、自分は何者なのか?自分の価値観や考え方を整理できて、説明できるようになってきた気がしました。

これは、非常に有意義だったと思います。

また、文章も非常に読みやすく、すごく楽しく読むことができました。この本の著者、福原 正大氏の別の本をまた読んでみたいと思いました。

みなさんも本書を読んで自分の価値観を再考してみてはいかがでしょうか?

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