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ライフ

これからの生き方を考える【「人生のピークを90代にもっていく!」を読んで】

アラカンはこれからの生き方を模索する世代

会社を退職してから1年半、アラカンの自分は、これからの生き方についてずっと考えてきました。その中で、幸福に生きる、上機嫌で生きるにはどういうふうに生きていけばいいのだろう?と絶えず考え続けています。心の持ちよう、考え方とでも言いましょうか?きっと同年代の皆さんも同じように考えていらっしゃると思います。

最近それに関するいろんな本を読んでいますが、割に充実したセカンドライフを過ごすための方法論的な本が多く、そうじゃないんだよなといつも思っていました。

で、ついに見つけたこの本。

題名:人生のピークを90代にもっていく!
    折り返し地点から「死ぬまでハッピーな人生」を作る
著者:枝廣淳子
発行:大和書房

本書は、自分にとって、内容がすんなり入ってきて腹落ちできました。すごく自分の考えていることに近く、「そうだよな、そうだよな、これでいいんだ」と自信をつけてくれる内容でした。

またわかりやすいキーワードがところどころ出てきて、すごくわかりやすかったです。それらキーワードをいくつか挙げさせてもらって、自分の感じたところ、考えたところをまとめてみたいと思います。

「足るを知る者は富む」

「はじめに」のパートで出てくるこの言葉。

東洋思想の教えは、「幸せとは外界にあるのではなく、自分の内に見いだすものである」ことを繰り返し説いています。「足るを知る者は富む」という言葉はよく知られています。(P5)

この本では、人生の前半を「人生の午前中」、人生の後半を「人生の午後」という表現をしています。自分も思うのですが、人生の午前中、必死で学んで、働いて、周りと比較されながらいろんなものを得てきましたが、人生の午後の入り口にいる自分としては、もう諦めているという寂しい言葉ではなく、開き直っているというんですか、そういう気持ちなんですね。

「足るを知るものは富む」。この言葉は人生の午前中にいる人にとっては、自らの将来性を見切ったような表現にも聞こえてしまいます。反面、人生の午後にいる我々にとっては、「先がある程度見えてきている中で、なんとか楽しくやれば心は豊かになるよ!」っていってくれているようで、すごく気に入りました。

「もう十分、足りている」を判断するためには、自分の価値観や生き方をしっかり持ち、精神的・経済的な観点でそれと照らし合わせてしっかり考えることが大事かなと思います。

精神的には、他人と比較するのではなく、自分はこれでいいんだ!これが幸せなんだとしっかりした軸をもつことが大事。経済的な面では、自分の資産の現状を洗い出して、将来の資産計画をしっかり立てることで、経済的に解放されているか?働かなくていいのか?をなるべく正確に把握することが大事だと思います。

それができなければ、「もう充分なのかどうか?足りているか?わからない」ので不安に駆られて、幸福感を味わえなかったり、闇雲に働きつづけるしかなくなります。逆にお金がある人はお金があるのに使えなくて、大金を持ったまま死ぬということになりかねません。

「足るを知るものは富む」素晴らしい言葉だと思いました。

「幸福寿命」を延ばす

次に気に入った言葉「幸福寿命」

健康寿命って言葉はよく聞く言葉でしたが、

私は「『ハピハピコロリ(HHK)』がいいなあ!」と思っています!(中略)延ばしたいのは(健康寿命だけではなく)ズバリ「幸福寿命」なのです。

「幸福寿命」とは、「自分はおおむね幸せだと思いながら、毎日を生きている期間」です。(P21)

 

自分も健康寿命を伸ばそうと運動を始めとして健康には気を使っています。そうはいっても長く使った体はどこかで限界を迎えます。現在の健康寿命はおおよそ75歳と言われていますが、その後も生き続けるわけですから、行動が制限されたとしても何かしらから幸せを感じないと生きていけなくなりますね。「幸福寿命」を伸ばす何かを見つけないといけません。

自分は今、動的にも静的にも幸せに通づる行動や趣味を持っていて、行動が制限されるような年齢になって、動的な幸せを得られなくなったとしても、静的な幸せを得ることができるんじゃないかなと思います。

動的な幸せ:ランニング、サイクリング、ドライブ、旅行
静的な幸せ:読書、ブログ、浦和レッズサポーター

特にブログは、自分の内面に向かった会話が大事になりますね。その中で、自分自身、幸せを感じることができます。

・記事のテーマを考える上で、自身の好奇心を育てることができる。
・記事を書く上で自分の考えをまとめることで、自身の頭を使うこと、頭の中を整理することができる。
・記事を書いていると、新しいことに気づいたり、やってみようと思うことを見つけることができる。
・記事を書き切った時の(仕事をやり遂げたような)達成感を感じることができる。
・記事で読者の皆さんに少しでも貢献できているかも?という淡い達成感も感じることができる。

自分にとってはいいことづくめなので、死ぬまでずっと続けていきたいなと思います。

また、「幸福寿命」を伸ばすための考え方として、

「人生の午前から午後にシフトする」とは、1つには、「自分の人生の成功を何で測るか」という物差しを替えていくことではないか、と思っています。

(横軸を年齢に置いたグラフの縦軸は)若い頃は、「体力」「収入」「他人からの評価」などかもしれません。(中略)人生の午後には、この縦軸の物差しを「幸福度」に替えること。(中略)幸福度研究の知見から、収入や健康状態すらも幸福度に影響を与えるものの、その人の幸福度を決めてしまうほどの大きな要因ではないことがわかっています。(P27)

生き方や考え方を変えていく必要があるというわけです。本当にそう思いますね。

そのために「幸せの自給自足」

本書には、幸せには2種類があると言います。

①欲しいものを追いかけて、獲得する幸せ(satisfaction)   ・・・人生午前中の幸せ
②あるがままで、しみじみと湧き上がってくる幸せ(contentment)・・人生午後の幸せ

この②の幸せこそこそが、「幸せの自給自足」という言葉で表現されているのです。

この言葉も本当に共感します。

最近の話、自分がどうあるべきか?を考えた時に、自分が一番大事にしている価値観は「自由」なんだなとつくづく思うんです。会社員時代には、周りから「自由人」と言われながらも、いざ自分のやりたいプロジェクトを実現しようとすると、いろんなしがらみや戦いで、自分の理想となる自由は手に入れられませんでした。でも今は、(奥様にはあれこれは言われますが)自由に生きていくことができる。

その中で、自分自身と対峙して、自分の感覚や感性がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じていると、幸せの感じ方が変わってきた、本当に「幸せの自給自足」ができているなと感じるんです。

何気ない妻や子供達との会話、ベランダで気持ちい風を感じている時、鳥の鳴き声が聞こえる時、綺麗な花が咲いている時。

なんかありがたいな、幸せだなって。人生史上今一番幸せかもしれないなあと思います。

「創造し続ける人」のススメ

本書は、幸せを感じるために「創造し続ける人」 になりましょうと語っています。

こんなふうにしなやかにのびのび考え、行動できる人は、創造力に富み生命力にあふれる人です。「それ、違うんじゃない?」と人に言われれば、「あら、そうかしら?」と竹のようにしなり、「そうねえ、じゃ、こういう考えはどう?」と新しい何かを創り出す。(中略)その一方で、「それ、違うんじゃない?」と人に言われて、「そんなこと、あるものか!昔からそうに決まっている!」と反発する人は、頑強に見えて、とてももろいのです。しなる強さを持っていないからです。「柔弱は剛強に勝る」と老子が言っている通りなのです。(P40)

中高年が老害と言われる典型的なダメなパターンが書いてありますね。自分の価値観でしか話のできない人たち。そうならないように、「創造し続ける人」でありたいものです。

そのために「メンタルモデル」を緩める

そこで出てくる言葉。「メンタルモデル」

「〇〇とは、こういうものだ」という無意識の前提のことを、「メンタルモデル」と、呼びます。「メンタル」(頭や心の中)にある「モデル」(現実を単純化したもの)のことです。私たちのだれもが持っている「〇〇とはこういうものだ」「△△はああいうものだ」という、現実を単純化したイメージのことです。

別な言葉で置き換えると思い込みというところでしょうか?

「〜すべき」という考え方は、まさに、中高年が若い人に対していう言葉ですね。中高年が生きてきた中で頭の中に形成された「〜すべき」という考え方は、軍隊的に組織を統率するだけならいい面もありますが、そんな考えはもはや時代にマッチしていません。それを柔軟に考えられないのが中高年。年上であるというプライドからの、自らの価値観の押し売り。自分はそうならないようにしようと思います。

運転ルールのような安全上の明確なものは遵守しないといけませんが、譲り合いのような社会的モラルみたいなものは、個人個人で解釈の違いがあるので、個人の思い込みで「普通、こうだろう!」みたいな感じでキレてしまうこともあります。

また、「自分はダメなんだ」という無意識なメンタルモデルもあります。自分に厳しすぎる人がこうなりやすいかなと思いますね。

こんな感じで、メンタルモデルは自分や周りの人の行動を制限してしまうことになります。それをゆるめていきましょうとという提案です。自分に課したり思い込んでいる「メンタルモデル」は偏りすぎない程度にある程度緩めて、周りにも強要しすぎないようにしないとなと思います。

「バックキャスティング」でビジョンを描く

本書では、これから生きていく上で将来のビジョンを描きましょうという話が出てきます。

「フォアキャスティング」と「バックキャスティング」

ビジョンの描き方には、「フォアキャスティング」と「バックキャスティング」という2つの方法が紹介されています。

フォアキャスティングとは、「現状、今の強み、今の制約」を考慮に入れて、それらの範囲内で未来を描くやり方。一方、バックキャスティングでは「現状、今の強み、今の制約」を脇に置くことで、これまでに縛られない未来を描きます。(P85)

企業活動においては、フォアキャスティングで短期・中期ビジョンを立てることが多いです。近未来の確実な成果を上げるためにそうするしかないからです。日本の企業は多いんじゃないかなと思います。

ただ、それじゃダメなんですよね。アップルなどは、しっかりとバックキャスティングで長期ビジョンをしっかり立てているんじゃないかなと想像します。クリエイティブな製品をどんどん生み出しているからです。

で、アラカンの我々に当てはめると、今後最長30年先の長期的なビジョンを、現在の延長線上でなく、「今の自分」にとらわれず「未来の自分、あるべき姿」を考える、つまりバックキャスティングで考えるということなんです。

「ちょっと難しいかな、無理かもしれない」ぐらいのビジョン・目標を目指している時、たとえ、最終的に達成できなかったとしても、そのプロセスはポジティブな緊張感と達成感を提供してくれるでしょう。その時、チクセントミハイのいう「フロー状態」、つまり時間を忘れるほど完全に集中・没頭している人が感じる深い満足や幸せを味わうことができるのだと思います。(P94)

「doingのビジョン」と「beingのビジョン」

また、ビジョンの種類としては二つあると言います。

doingのビジョンは「何をなすべきか?」、beingのビジョンは「どうあるべきか?」という意味合いだそうです。

人生の午後は、「あり方としてのビジョン」が多くなってきます。(中略)「どういうあり方か」が大事になってくるのです。(P97)

前述の2種類の幸せのうちの一つ、あるがままで、しみじみと湧き上がってくる幸せ(contentment)に通じる言葉だと思います。

自分の価値観をしっかり持って、どうあっても自分はこうありたいという希望を持っていれば、「幸せの自給自足」ができるということです。

寝たきりになったとしても、自分はこうありたい、今のまま、ありのままでいいよ、こういう態度・姿勢で残りの人生生きていきたい、潔さともいうんでしょうか?感謝の気持ちを持って、そういう気持ちで生きていきたいなあ、生きていけるようになれたらなあと思います。

このようなことを考えたり描いたりするたびに、「今ここにない何かに向かっていく」というよりも、「今ここの生き方・あり方そのものを整えていく」結果として目指すあり方に近づいていけたら、と思います。(P102)

その通りですね。

自分の考える「being ビジョン」

本書の提案をもとに、これからの人生で自分がどうあるべきか?を考えてみました。すると二つ浮かびました。

① 自分の生き方、進むべき道は自分で決める自由を持つ

自分がどうあるべきか?を考えた時に、今までの人生の中で形成された自分の価値観になるのかなと思います。それは「自由」なんですね。

人それぞれ、自由の定義は色々あると思いますが、自分の考える自由は、

「自分の生き方、進むべき道は自分で決める」

家族含めて周りの方々のサポートのおかげで、人生のどんなシーンでも、進路は自分で納得して決めることができました。失敗もしましたけど。そこに後悔はありません。

・進学
・就職
・結婚
・自分のプロジェクト
・早期退職
・退職後の生き方

なので、これからの人生も、ブレずに自分の生き方を貫き通す自由を死ぬまで大事にしたいと思います。

② 内面の成長・深化した自分でありたい

自分を知っている人からに見ると何言ってんの?って言われそうですが、内面が円熟した大人でありたいと思います。

世の中でいろんな人を見てきた中で、嫌な人や器の小さい人、いわば未熟な人を見てきましたし、逆に器の大きい尊敬できる人、いわば円熟した人も見てきました。

今までの自分の振る舞いや行動を顧みたとき、未熟な人に近い振る舞いをしてきたこともありますし、逆に円熟した方達に対しては足元にも及びません。

ただ、心の中にそういう感覚的な指標を持って、円熟方向に向くようにはどのようにしたらいいかを常々考えていれば、自身内面の成長・深化した自分が見えてくるような気がします。

高い視点、広い視野を持って、円熟したあるべき自分になれるよう自分自身と対峙して、進んでいきたいと思います。

自分の考える「doing ビジョン」

これからの人生で何を成すべきか?を考えた時に、パッと納得の言葉が出てきました。

「頭、体、心の3つの運動をやめない、あきらめない!!」

ちょっと標語のようにも聞こえますが、自分的には気に入ってます。

中身を説明しますね。

① 頭の運動をやめない、あきらめない

これは、好奇心を持って、いろんなものに興味を持って、学びと研究をやめないという意味なんです。もともと技術者でしたので、仕事柄、頭がそういう思考になっていて、頭を使わないと、飢餓感を感じるのです。

また、会社を辞めて時間的な余裕ができたことで、心の余裕が生まれ、好奇心が埋めることができるスペースができて、感性が戻ってきて気づきが自然と湧いてくるようになりました。

もともと興味があった新技術の領域や、身近なものでは、ストレッチや筋肉の構造の研究だったり、料理の研究だったり、自分で髪を切るセルフカットだったり、TOEICの学び直しだったり、なんでもいいんです。YOUTUBE動画はいろんなことを教えてくれますから、その中で興味のあるもの見てみたり、やってみたり、続けてみればいいんです。

それらインプットしたものや、やってみた結果をブログにあげてアウトプットし、さらに学びが深くなる。そういう好循環を続けていきたいと思います。

② 体の運動をやめない、あきらめない

人間の体は、使わないと確実に老化し動かなくなります。なので、運動をやめることが不健康に直結します。若い頃ならまだしも、アラカンの我々には致命的です。

また自分は若い頃から、運動による肉体な強化と精神の解放と充足感・達成感を感じていたので、定期的な運動を好んでやっています。アラカンの世代にはなお一層重要度が増してくるに違いありません。

一生、ランニングができる体で居たいなあと思っています。

③ 心の運動をやめない、あきらめない

心の運動は、感動と感謝です。

一つ目の感動は、人生を豊かにしてくれるものですね。

自分は、浦和レッズのおかげで心の運動ができます。シーズン中は、試合毎に大きく感情を揺さぶられ、ジェットコースターに乗ったようです。でも、浦和レッズがゴールを決めたり、勝ったり、優勝したりした時の最高の興奮や感動はやめられないものがあります。何があろうと一生浦和レッズをサポートし続けると心に決めています。

それと、クルマのドライビングにおいても、操作に対するクルマからのフィードバックを感じながら運転していると普段の運転でも感動できますし、自分の好きな車はずっと乗っていられますね。

また、旅でいろんな新しい感動を味わっていきたいなと思っています。

二つ目の感謝は、人生の午前中でお世話になったことへの恩返し。

親や奥様への恩返しや、ブログ活動でみなさんに役に立つ情報を提供していくことをやっていきたいし、さらに今後見つかっていくといいなと思っています。

最後に

本書をきっかけに、ぼんやりとしていた自分の今後のビジョンをまとめることができて、すごく印象に残る一冊になりました。

アラカンのみなさん、本書を一度お読みになって、自らの今後の生き方を考えてみたらいかがでしょうか?自分のように何かぼやっとしていたものがクリアになるかもしれません。オ ススメですよ!

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