小さい頃のスポーツ観戦は野球でした
小さい頃は、たまに父親がプロ野球に連れっていってくれました。平和台球場。
球場の中に入って、階段を登り、スタンドに出ると、でっかい照明にてらされる、緑の芝。
照明に映える選手たち。
野球の内容はほとんど覚えていませんが、そのシーンだけが脳裏に焼き付いています。
高校の野球部の応援にいったりはしていましたが、プロ野球への興味は尻すぼみ。
しばらく、スポーツ観戦などすることはありませんでした。
テレビ埼玉のおかげで浦和レッズに引き込まれる
時は流れて、社会人になって、さいたまに住むようになり、テレビのチャンネルの中に
ローカルテレビ局のテレビ埼玉を発見しました。
その頃、今思うとこれといって娯楽の少ない時期で、何気にテレビを見ることが多かった。
また、日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグがスタートという時期で、テレビ埼玉が浦和レッズの試合をほぼ毎試合放映してくれていたのです。
そんなに興味もなかった自分が、時間になるとなにげにテレビをつけ、ぼーっと見始め、なかなか点の入らないストレスの溜まるスポーツだなと思いながらも、ゴールが入った時の喜びがたまらなくなり、サッカー観戦にのめり込んでいきました。
今、テレビ埼玉は、スカパーや現在はDAZNに放映権を譲らざるをえない状況となり、たまにDAZNの映像をそのまま放送しています。自分を浦和レッズに引っ張りこんでくれたテレビ埼玉には、本当感謝しています。
テレビ埼玉で現在も放送中のレッズ応援番組 GGRは引き続き楽しみに見ています。
数々の感動と落胆を繰り返し、、
Jリーグスタート時は、Jリーグのお荷物と言われていたレッズ。ただ、サポーターは、どんな時も熱く応援していた。
そのサポーターに引っ張られるように、成績が上がっていき、それに伴い、サポーターもどんどん増えて、当時のホーム駒場スタジアムのチケットが取れない。運良くとれて、スタジアムで応援する時の楽しさ!!
それでも、ちょっと成績が悪くなると監督解任し、長めの周期で、好不調を繰り返し、J2落ちまで経験。でも1年で復活して、今はJ1で頑張り続けています。
好不調の波の中で、不調から好調に転じた時のサポーターの増加数は、半端ないなと思ってました。感覚的に。
まあ、浦和が常勝だったらどんなに精神的に楽かと思う時もありますが、苦あれば楽あり、好不調あってこその浦和。このハラハラドキドキがたまりません。
浦和サポはすごい
埼玉スタジアムの北ゴール裏に陣取るサポーターのリーダーたちは、本当に頭が下がります。魂の応援、人生かけてるなあと惚れ惚れします。
事前の応援準備たるや、どんなに時間と労力がかかるか?と想像するだけでも途方もない作業。それを愛するチーム、選手のために、ホームの試合毎にやるのです。特に、試合前のコレオグラフィーは圧巻。赤、黒、白のビニールをスタジアム全体の席ごとに配置させることなんて大変に違いない。加えて、デカエンブレム、大旗、小旗準備、タイミングよく振ったりとどれだけの情熱なんだと本当思います。
また、どんなに負けていても、諦めず声援をやめない。でも、情けない試合をしたら容赦なくブーイング。ちょっとやり過ぎてしまうことはありますが、自分はやりすぎるくらいがレッズらしくていいんじゃないかと思うんです。(コロナのルールは守らなきゃですが。)
あと、子供からおじいちゃんおばあちゃん、外国の方もいらして、多種多彩かつ幅広い年齢層が、歴史を感じさせるのと愛されているのを感じます。とてもいいと思います。
これから一生、浦和レッズを愛し続けます!
若い頃は、退職したらどっかさいたまと違う場所でのんびり過ごしたりするのかなとイメージしていました。
ところが、今の自分は浦和レッズのことが生活の一部になり過ぎて、もうさいたまから離れられなくなってしまいました。
これからも一生、浦和レッズを愛し続ける覚悟というか自然にそうなっています。離れることができません。
最初は浦和は怖いかなという印象を持たれている方は残念ながら多いかなと思いますが、実際行ってみると、スリリングな試合はもちろん、サポーター見るだけでも楽しいですよ。
みなさん、ぜひ、浦和レッズのホームの試合に、埼玉スタジアムにいらしてください!
みなさんにココカゼというか、アツカゼ(暑い風)が吹くの間違えなしです。
また、これから、浦和の話もちょくちょくブログにしていきたいと思っています。
それでは!!