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【長野の旅⑤ 善光寺〜川中島古戦場編】旅行好きの方にココカゼ!!

4日目は善光寺からスタート

善光寺参道を歩きます

長野旅行最終日の本日、ホテルで朝食をとった後、善光寺に向かいました。

長野市で宿泊した、「長野ホテル犀北館」は、チェックアウトが12:00なのが良いところ。午前中一杯使って、善光寺巡りをすることができます。

善光寺に続く参道は石畳になっていて、周りの蔵造り風の建物と相まって、いい雰囲気を醸し出しています。

「藤屋御本陣」という雰囲気のあるホテル・レストランがありました。

仁王門

進んでいくと、4体の仁王様がいる門に到着。

吽形仁王像、目力強くすごい迫力。

阿形仁王像も同じく。

三面大黒天像、三宝荒神像は暗くてうまく写りませんでした。

仲見世通り

仁王門を過ぎると、仲見世通り。いろんなお店がありますが、朝早くまだやってません。

景観にあったスタバ。

山門が見えてきました。

山門

立派な山門です。上の方に金色の「善光寺」の文字が見えます。

はとが5匹いるとのことで、探してみましたが、最後の1匹が見つからない。

のちに資料館の方でわかるのですが、善の上冠に2羽、光の上に2羽、難しい最後の1羽は寺の下の点だそうです。

善光寺 本堂

善光寺のホームページ善光寺についてにありますように、戦乱の時期や火災などを経て、こちらに落ち着いている経緯があるんですね。

ご本堂(本堂について)は外から見ても巨大で奥行きがあり立派な建物でした。

中に入ると、こんな構成になっています。当たり前ですが、内部は写真撮影禁止です。

外陣

まず、外陣で、びんずる尊者にお参り。外陣・内陣についてにありますように、

「お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人で、神通力(修行者が得られる超能力に似た力)が大変強い方でした。お釈迦様から人々を救うことを命じられた説話から、いち早く駆けつけられるように外陣にいらっしゃいます。俗に「撫仏【なでぼとけ】」といわれ、病人が自らの患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰があります。正徳三年(1713)の安置以来300年以上の間人々に撫でられ、今は元のお顔が分からないほど磨り減ったお姿は、人々がそのお力にすがった信仰の証と言えるでしょう。ミシュランガイドの3つ星にも選ばれています。因みに善光寺自体は2つ星です。」

最近、腰痛に悩んでいるので、腰を中心に撫でさせていただきました。

内陣・お戒壇巡り

その後、その脇にある自動販売機で、「本道内陣お戒壇巡り券」(大人600円高校生200円小中学生50円を購入し、内陣へ入ります。

まずは、畳の大広間である内陣でお参り

その後、内内陣の下を通れるお戒壇巡り。天井の低い真っ暗な回廊を通り、中程に極楽の錠前を探り当てると、秘仏の御本尊と結縁するということらしいです。自分にはわかりませんでしたが、奥様は、2回目に探りあてしっかり握ってきたと言ってました。

また、内陣で一休みして、周りを見渡していると、頭上の欄間に、来迎二十五菩薩像がありました。手に手に楽器を携え音楽を奏でながら、極楽よりお迎えに来てくださる姿を示しているそうです。しかし、奥様が26体あることに気づき、善光寺職員の方に質問すると、確かに、後光がない方が一体あってそれは、菩薩様を連れてきた案内役のような存在らしいです。

外陣・内陣についての方にも「この来迎像は、実際には二十五体の菩薩形【ぼさつぎょう】像と一体の比丘形【びくぎょう】像(剃髪の僧形)より成っています。」と記載されていました。

また、一般の方のお葬式の儀礼をやっていて、運よく、御本尊がご開帳されるシーンに立ち会うことができました。

史料館

史料館には、数多くの資料が展示されておりました。かつて本堂に架けられていた絵馬や、永代開帳額。阿弥陀如来像、ダライ・ラマ法王14世が来寺された際に開眼された砂曼荼羅なども展示されておりました。

仲見世、参道戻り

帰りの時間は、参拝客がだんだん増えてきました。

川中島古戦場を散策

ホテルに戻って12時前にチェックアウトして、最終目的地、川中島古戦場史跡公園に向かいました。

公園内にある八幡社でお参り。

川中島合戦は、13年間に及んだが、その中で永禄4年の4回目の戦い、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われた戦いを示すとのこと。

その戦いの像がありました。すごい迫力。右の馬に乗って刀を振り翳しているのが、上杉謙信。右の軍配で謙信の刀を受けようとしているのが、武田信玄。

横から見ると、謙信の鬼の形相がわかります。

この旗は、毘の旗。上杉謙信の旗で、信仰していた毘沙門天を意味するものだそうです。もう一つあった、龍の旗は突撃を意味するものだそうです。

これは、執念の石。上杉謙信を追い詰めるも取り逃してしまった、武田信玄の中間頭 原大隈が、無念のあまり傍にあったこの石を槍で突き通したとのこと。穴が貫通しています。

こちらは、首塚。6000人余りの戦死者を葬った塚の一つだそうです。人間は愚かな生き物ですね。

八幡社から出て公園内を散歩します。

広場に出てきました。

ほっこりする公園です。昔のことが嘘のようですね。

帰宅してからですが、川中島の戦いについて勉強しようと動画を探していたら、わかりやすい動画を見つけました。動画制作者の丸竹夷 / YouTube高校さん、わかりやすい解説ありがとうございます。

今まで、自分は全く歴史に興味がなかったのですが、色々と勉強してみると、興味が湧いてきましたので、継続的に勉強してみようかなと思っています。

最後も蕎麦をくらう

いよいよ、最後の食事、昼食の時がやってまいりました。

シメはやっぱり蕎麦でしょ!ってことで、長野インター近くの小木曽製粉所 川中島店に入店。

この店舗は、セルフサービス型店舗で、丸亀製麺のようなスタイルですね。

しかもざるそばは、並(220g)・中(300g)・大(380g)までがなんと550円。安い!!その上の特ざる(540g)が770円。自分は、食べ納めと特ざるを注文。帰宅後数日は胃拡張で、お腹が空いて仕方がありませんでした。

 

特ざる。うまい。

ググってみると、なんと埼玉県にも2店舗あるとのことで、最寄りのイオンモール北戸田店に今度行ってみようと思います。楽しみ!!

3泊4日、長野の旅が終わりました

長野インターから、高速乗ること2時間で帰宅。

体力的に色々と大変でしたが、コロナの罪滅ぼしにもなったと思いますし、良い旅になったのではないかなと思います。

また、信州の奥深さを知ったり、歴史への興味など、得るものがあったなと思います。

この旅が皆様の旅の参考にちょっとでもなりましたら嬉しいです。それでは!!

 

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