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【四国の旅⑦  再び松山市内観光編】

四国の旅 最終日は再び松山市内観光です

2年越しで実現した四国への6泊7日の旅。

※全体の流れは、こちらのまとめ記事をご覧になってください。

まとめ記事【四国の旅】旅行好きの方にココカゼ!「今年は四国行くよ!」と観光大臣がご発言されました 今年初め、毎年のご発令がありました。 「今年は、今年こそは四国行くよ!」 ...

最終日は、夕方の帰りの飛行機の時間まで松山観光です。初日は移動がありましたので、十分な観光の時間がありませんでした。なので、行っていないところを回ってみました。

訪問地は、

①坂の上の雲ミュージアム
②萬翠荘(旧久松伯爵家別邸)
③道後公園
④大街道・銀天街
⑤かつれつ亭 湊町店

それぞれをご紹介していきますね。お付き合いください。

①坂の上の雲ミュージアム

まず最初は、坂の上の雲ミュージアムです。

「坂の上の雲」は、奥様が最近、ハマって見ていたNHKのテレビドラマでした。

ドラマについて、こちらのNHKサイトを引用させていただきます。

司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、日露戦争とその時代を生きた明治の青春群像を渾身の力で書き上げた「坂の上の雲」を原作として描く人間ドラマ。 明治維新によって、はじめて「国家」というものをもち、「国民」となった日本人。近代国家をつくりあげようと少年のような希望を抱きながら突き進んだのが「明治」という時代であった。 松山に生まれた3人の男、バルチック艦隊を破る作戦を立てた秋山真之、ロシアのコサック騎兵と対等に戦った秋山好古、そして俳句・短歌の革新者となった正岡子規。彼らは、時代の激流に飲み込まれながら、新たな価値観の創造に立ち向かい、自らの生き方を貫き、ただ前のみを見つめ、明治という時代の坂を上っていった。生まれたばかりの「少年の国」である明治の日本が、世界の中でいかに振る舞っていったかを描く。

またも、四国の地で日本という国をなんとかしようとする人々のお話。四国は、本当に志の高い人々を多く輩出した土地であることに感心します。

実は、初日に奥様と別行動をしていた時に、奥様はまず最初にここをじっくり見たとのことなので、この日は入口にちょっとお邪魔しました。そこにあったテレビで、ドラマの映像が流していましたが、見ていると吸い込まれて時間が経つのを忘れそうなくらいでした。

自宅のビデオレコーダーに録画されているこのドラマをじっくりみようと思いました。

②萬翠荘(旧久松伯爵家別邸)

次は、すぐ近くにある「萬翠荘」を訪れました。

坂の上の雲ミュージアムを出て少し坂を登ると到着。まさに洋館といった外観です。

萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建てたフランス・ルネサンス様式の洋館です。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの建物だそうです。
萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。

玄関には、時代を感じる人力車がありました。

芸術的な彫刻です。

ゲストルームは、白を基調とした明るい部屋。大きなシャンデリアが豪華さをアピールしています。当日は、絵画展が開催されていました。

隣の大広間は、シックな印象。さらに豪華なシャンデリアがありました。

水晶でできているそうです。

2階に続く階段は、大正時代を感じさせます。そして階段途中にある大きなステンドグラスに、航海する帆船の絵が描かれています。優雅ですね。

夏目漱石と正岡子規が、一時期一緒に住んだ、愚陀佛庵の模型がありました。

2人の奇妙な関係性が描かれていました。

昭和天皇の絵が飾られている部屋。

そこには、珍客がいました。猫ちゃんが、我が部屋のようにスヤスヤと眠っています。誰かの生まれ変わりなのかも知れませんね。

昭和天皇がここを訪れた際、朝食を取られたのがこちらの部屋だそうです。

豪華な木の手摺りも印象的でした。

③道後公園

萬翠荘を後にして、路面電車に乗って、道後温泉手前の道後公園に向かいました。

こちらの公園は、湯築城の跡なんです。

湯築城は、中世の時代、250年間、伊予の国(今の愛媛県)を支配した河野氏が居城としていました。

今は公園となっていますが、グラウンドや遊具がある傍ら、遺跡としての発掘現場や武家屋敷の再現など文化的な公園となっていました。

南側の復元区域は、再現された武家屋敷があるこんな景色が広がっていました。

内堀は、綺麗な日本庭園のようでした。

土類展示室には、外堀土類の断面が展示されていました。土塁の内部構造、地層の種類や時代がよくわかる展示でした。

茶色の部分が、弥生時代までの層。以降さらに積み上げています。

公園中央にある小高い山に登ると展望台があります。松山市を一望できました。

近世の城は、石垣や天守があるのが特徴ですが、中世の湯築城は、それらがない平山城と呼ばれている城でした。確かに、近くにある松山城と違い、低く平らな地形の上にある、防衛のイメージが薄い城のように思えました。

④大街道・銀天街

もう3時近くになってしまい、松山、いや四国最後のメシを探して彷徨いました。

大街道商店街を彷徨いました。

大街道商店街は、昔懐かしいアーケードのある商店街。しかも、すごく道幅が広かったのが特徴的でした。

地面に埋め込まれていたこの説明によると、こちらの大街道は娯楽の街、その奥にあった銀天街は生活物資を売る商業に街として栄えたそうです。

今もまさにその色が濃かった気がします。

大街道をひとしきり歩くと、銀天街になります。

生活雑貨のお店が増えてきました。

⑤かつれつ亭 湊町店

空腹のピークの中、彷徨っていました。ふと路地に目をやると、偶然このお店を発見。奥様のピックアップリストの中にも上がっていたということで、迷わずピットイン。四国最後のメシは、予想外のトンカツでした。

トンカツというより、料亭のような純和風の佇まいです。

ちょっとというか、かなり高級でした。庶民は、黒豚ロースかつ定食をチョイス。鹿児島県産黒豚ロース肉ですからね!

久々に食べた、本物のトンカツ。美味しかった!満たされました。

これで四国の旅は終わりです

トンカツを食べた後は、劇的勝利だったFC東京戦をDAZNで見ながら、空港へ向かいました。

この旅を振り返ってみると、いやーいろんなとこ行ったなあという印象。ボリューム満点の四国旅でした。四国の西半分を制覇した印象があります。

そして、四国という場所が自然が溢れ、古き良き日本が保存されている素晴らしい土地だということがよくわかりました。

九州に生まれ、埼玉に住んでいる自分は、これまでなぜか四国に縁遠く、今回が初めての四国訪問でした。今思うのは、なんで早くいっておかなかったのか?ということ。

まだ、香川、徳島と東半分が残っていますし、西側も最南端の方にも行けていませんので、また四国を訪れたいなあ思っています。

それまで、バイバイ、ミキャン!

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